福 岡県高 祖(たかす)山 (416m)



2016 年12月9日・・・・福岡県糸島に残る古代、中世の山城跡を訪ねて
 
 
 県道56号線から見た高祖山の全景。手前の土手は延長2kmに及ぶ土塁の一部と思 われる。

 
 高祖山山頂から北側の怡土城跡探訪歩道へと向かう尾根道にて


 高祖山は、魏志倭人伝に出てくる「伊都国」があったとされる福岡県糸島の地にある。
この山には、大宰府防衛の西の拠点として8世紀に築かれた怡土(いと)城址と、中世戦国時代に地元の原田氏が築いた高祖城址とがある。
地元糸島市のパンフレットによると、怡土城は下地図の周回コースに囲まれた部分であり、遺跡としては県道沿いに点々と残る土塁と、望楼跡が8か所あるそう だ。
この怡土城の様式は中国式の山城だそうで、朝鮮式の山城である大野城基肄城とは時代が100年ほど新しい。
また、高祖城は怡土城を再度利用しており、遺跡としては山頂付近に「下の城」、「上の城」などの郭が残っているらしい。



高祖神社駐車場9:10―登山口10:20ー下の城跡分 岐11:00-高祖山山頂11:10 11:20―周船寺分岐11:45―第2望楼如意分岐12:00
 ―高来寺登山口12:35―(県道56号線)-大鳥居口土塁13:10―高祖神社駐車場13:20 (全行程7.0km)



高祖神社下の駐車場。ここから神社の右側を 登り登山口に向かう。
この神社は無人とはいえ、規模も大きくよく 管理されている。拝殿天井には奉納された絵馬がびっしり。


神社から5分ほどで登山口に到着。ここから 林の中を登っていく。


登山口から15分ほどで一ノ坂礎石群につ く。坂を防備する門があったのではなかろうか。崖側に礎石が残っている。
この山は全山花崗岩でできており、ザラザラ岩盤と、崩壊した真砂が 入り乱れており濡れても滑りにくく歩きやすい道である。


尾根筋に登った所が「下の城跡」である。こ こは戦国時代糸島の国人原田氏が築いた高祖城の跡らしい。


下の城跡から10分ほどで高祖山山頂に着 く。高祖城の本丸跡らしく、数段にわたって整地されており、城の輪郭が想像される。

今日の登山者は我々2人だけであった。この あたりは山頂というより城跡の雰囲気の方が強く感じられる。


山頂から西 側を見下ろす。「伊都国歴史博物館」や井原遺跡等が見えているはずだが、樹木と霞で定かではない。



山頂から北 上し、周船寺方面への分岐を過ぎ西に向かって尾根を下ると、妙立寺方面との分岐に着く。第2望楼跡はここから100m程先。


第2望楼跡の礎石。この望楼からは博多方面 もよく見えそうだ。
尾根を下って県道に出る直前に、最後の第5 望楼跡がある。5つの望楼跡の中ではここが一番整備されており当時の望楼が想起される。



高来寺登山口近くの「緋縅岩」。花崗岩の一 枚岩である。
県道56号への出口(高来寺登山口)。ここ から高祖神社下まで県道をてくてくと歩く。途中、県道の東側に土塁の跡が見て取れる。盛り土した部分と、崖を削った部分とがありそうだ。


県道を歩いて高祖神社登り口まで戻ってき た。ここには「大鳥居口土塁」への登り口がある。


土塁の上は2m程の幅がある。内側(左側) の段下には平らな部分がある。
最後に、尾 根筋で出会った表情豊かな木々の顔(おっぱい木?)

同左(フィギュアスケートのピールマンスピ ン?)

 昨年、「伊都国歴史博物館」を訪れた時、この山の存在を知り今回の山行となった。山自体は400m程度と低いものの人工林と自然林が適度に混ざってお り、
気持ちの良い山域であった。歩いてみると大野城基肄城と似た地形(風景)のところも多かった。
 今回は怡土城址を見たかったので山の西側を周回したが、今宿を起点とした叶岳ー高祖山の周回コースもいつか歩いてみたいものだ。