福岡県大野城祉めぐり(大城山:410m 大原山: 355m)



2016年2月5日 ・・・ 大宰府防御のために作られた大野 城(朝鮮式山城)の遺跡をめぐる・・・

 尾根づたいには、延々と土塁跡が続いている。

都府楼跡駐車場10:10―大石垣11:00―大城山11:50―野外音楽堂12: 40(昼食)12:55―百間石垣13:10
 ―大原山13:45―焼米ヶ原14:10―岩屋城址14:25―駐車場15:10


 大野城祉は、大城山、大原山をつなぐ四王寺山脈(北に開けた馬蹄形をしている)の尾根すじを土塁で、また北側の谷は百間石垣でつないだ広大な山城であ る。
663年の「白村江の戦い」の後、唐と新羅の連合軍が攻めてくることを恐れ、大宰府政庁防衛の目的で作られた朝鮮式山城の一つだそうだ。
2015年12月7日に登った福岡県の基山にあった基肄城もその一 つであった。
 今回は大宰府の都府楼跡駐車場から川伝いに尾根筋へ上がり、時計回りに土塁上を回り、大宰府口から岩屋城址に立ち寄って都府楼へと下る11kmのコース をたどってみた。


都府楼の裏に連なるのが四王寺山で、山頂一帯が大野城 祉となる。ここから見ても400m程の高度感はない。 沢づたいに道は整備されているが道標は分かりにくい。 九州自然歩道の案内、県民の森センターの施設案内、札所の案内などが交錯し、肝心な道案内は少ない。惑わされること多し。 1時間弱で大石垣に着く。北側の百間石垣ほどはない が、南に流れる谷を防護する石垣であろう。両側の斜面にも石垣が残っている。



尾根筋に上ると、土塁が延々と連なっている。両側が切 れ落ちたものと、外側だけが切れ落ちたものとがある。地形に合わせた工夫であろう。 途中で広目天礎石群を眺めながら尾根道を約1時間歩く と、この山群の最高峰大城山(毘沙門天)山頂に着く。眺望はきかない。 山頂から西へ20mほど行くと眺望が開け眼下に水城城 跡が見える。ここでついに道を間違える。百間石垣に向かうつもりが麓の大野城市に向かって下っていた。モッタイナイ!!



案内板に文句を言いながら山頂へ戻り、別のルートをた どり百間石垣に到着。150mにわたって石垣が積まれている(復元)。この付近は急傾斜であり、土塁が築けないのだろうか。 百間石垣からもう一度登り返すと大原山山頂(持国天) である。西側に大城山が見渡せる。ここでも尾根の外側は急峻である。 このコースの南の端に位置する焼米ヶ原は公園化されて おり、駐車場や公衆トイレも整備されている。
焼米ヶ原にある尾花礎石群。ここには10棟ほどの礎石 が見つかっており保存されている。 この公園のすぐ下に大宰府口城門跡がある。土塁が門の 部分だけ切れており、防御のための門があったのであろう。 下山途中にある岩尾城祉。これは戦国時代のもので大野 城祉とは時代が異なる。大宰府神社や国立九州歴史資料館などが眼下に望める。




 本格的な機械や道具がなかったであろうこの時代に、これだけ大規模な土木工事を行っていることに驚かされた。
尾根筋だけでも土塁や石垣さらには門、柵等も設置されていたであろうことを考えると、どれだけの人員がどれだけの時間をかけたのか私には想像ができない。
建物跡は尾根筋にも一部あったが、70棟に及ぶ建物群のほとんどは土塁石垣で囲まれた中央の平地部分にあったようである。
この山塊の外側から登り始めずに、この史跡のほぼ中央部にある県民の森センターから回りはじめると中央部分も見ることができるだろう。
 昨年登った基山(基肄城祉)にも土塁や石垣、礎石群などが残されていたが、大野城祉の方がはるかに規模が大きく、実戦を想定しているように感じた。
当時の人々にとっても大陸からの侵攻は切実な問題だったのだろう。

 しかしながら、道標はどうにかしてほしい。上段中央の写真では「大石垣」は右に登るようになっているが、この数十m手前の分岐では九州自然歩道の道案内 などが複数立っているのに
、それらはすべて右への分岐を指している。肝心な「大石垣」の表記は見当たらない。まっすぐはどこに行くかの表記がないのである。
同様のことは大城山山頂付近でもいえる。どの案内に従ってどちらへ行けばよいのか迷うばかりである。手前に「大野城市へ」との表記があったがこのような漠 とした案内は珍しい。
私は「大野城祉へ」の表記の間違いだと早合点してしまった。あいまいな情報が多すぎると肝心な情報がどれなのか判断しずらくなる。
百間石垣を下って川を渡るところもそうである。目の前に「北石垣」の案内があるが、土塁はどこから入るのか記載がない。(実際は50mほど下流)
 センターの施設への案内や札所の案内はやたらと多いが、我々にはほとんど役に立たない。各団体の立てた案内にまかせるのではなく総合的な統一された案内 が必要である。

 史跡の素晴らしさに感動しつつも、案内のまずさにイライラしながらの5時間であった。