福岡県宝満山(829m)

九州百名山「地図帳」(山と渓谷社)No4

頂上南東方向に広がる背振山系の峰々(竈門神社上宮越しに)


頂上の東側崖を下るクサリ場


2019年2月5日  巨岩と歴史に包まれた宝満山を歩く

 福岡市の南東に隣接する背振山は、九州では一番登山者の多い山らしい。今年は暖冬で雪もなく、この時期でも安全に登れそうである。30年前に家族で南側 から登り、正面登山道を下ったことはあるが、階段が多かったことぐらいしか記憶に残っていない。

 大宰府近郊では、大野城址のある大城山・大原山基肄城址のある基山などを歩いてみたが、いずれも7世紀の壮大な歴史が感じられた。
大宰府の裏山にあたる宝満山にも、そのような歴史を感じさせてくれる部分が数多くあるのではないか、と期待しながら登山口へと向かった。
 石段の下りは避けたいとの思いから、今回は竈門神社から正面登山口から登り、行者道、愛嶽山経由で下ってみることにした。 

竈門神社第2駐車場9:10―竈門神社9:20―林道終点9:50―徳弘の井(3合目)10:15―閼伽(あか)の井(7合 目)10:50―中宮跡11:15―宝満山頂11:40(昼食)12:15―キャンプ場12:20―鳥追越13:20―愛嶽山13:40―駐車場14: 20(全行程6.5km)

 

         
 竈門神社本殿。右手前にはモダンな社務所があ る。本殿左側から正面登山路へ、本殿右から愛嶽山登山路へと分岐する。

   登山路は、平たいところは花崗岩の真砂が広が り、坂には花崗岩の石階段がつくられており歩きやすい。何度か舗装された林道を渡る。    本谷池の谷を右に見下ろしながら、正面の宝満 山へと向かう。

         
 林道の終点を通過すると一ノ鳥居が現れる。こ の鳥居も花崗岩でできていた。ここからは石階段の連続である。

   3合目の「徳弘の井」には柄杓が添えられている。この山には「五井7窟」あると書かれており、その一つであろ う。    4合目付近には崩落個所があり、木製の橋が取 り付けられている。腐りかけており滑らないように用心して渡る。
         
 5合目には「殺生禁断」と記された石碑(左 側)が立っている。
   このあたりから石段の段差も大きくなり傾斜も 急になる。「百段ガンギ」と記されたところか。

   7合目には「閼伽(あか)の井」と呼ばれる湧 水が登山路の両脇にある。水は溜まってはいるが飲む気にはなれない。ごめんなさい。

         
 稜線に上がるとまもなく「中宮跡」に着く。一 帯は開けており、建物が立っていたであろうことが分かる。
   いくつもの大岩を縫うようにして登り、「袖す り岩」の間を通過するとほどなく山頂である。   山頂は大岩がごつごつとしておりかなりな広さである。福岡 市側の大岩の前で記念撮影。
 




 山頂に設置された方位盤。福岡空港は「板付空 港」と記載されている。なつかしい名称だ。

   山頂からキャンプセンターのある「座主跡」に 下ってみる。山岳宗教の坊の跡らしい。ここから女道へと下っていくと、方々に石垣が残っている。


   女道沿いに「法城窟」の標識が立ち、反対側に はさりげなく石仏が安置されていた。






 中宮跡を過ぎ、行者坂を下りきると「鳥追峠」 である。ここは五差路になっており、愛嶽山や枡形城址の解説板が立っている。

   峠から尾根伝いに愛嶽山へと進むと、途中に枡 形城址への案内板があったので入ってみた。100m程進むと正面に小高い丘が出てきたが、道が荒れてきたので引き返し、愛嶽山山頂へと向かう。神社の赤い 鳥居をくぐり急な石段を上ると・・・

   石垣に囲まれた祠が立っていた。すぐ後ろの木 に粗末な山頂標識がつけられている。
ここから竈門神社まで谷沿いの道を一気に下っていく。石階段はほとんどなかった。









登山路で出会った史跡等・・・・・・・・・・ 

         
 3合目付近に立っていた城址の案内板。「うち やまじょう」と読む。この4~500m先の九重ヶ原にあった南北朝時代の城郭跡らしい(福岡県文化財調査報告書から)。

   7合目の「閼伽(あか)の井」の広場に立つ石 造りの建物跡。手前の標石には「寄進 福岡市??}とある。ネットによると皇紀2600年を記念して建てられた石窟ホテル跡?だとか・・・
   中宮跡の手前で見た芭蕉の句碑「世の人の 見 付けぬ花や 軒の栗」。意味の解説が書かれているがどうもわからない。また、なんでこの句碑がここにあるのかもよくわからなかった。

         
 中宮跡の少し上にある大岩。壁面に梵字などが 書かれているようだが、だいぶ崩壊している。

   8合目の標石。「八合目 博多 金澤永蔵」と記されているようだ。標柱左手の石段を登っていくと、正面の岩を左 に迂回して上部へと登っているようだ。上の方にロープなどが見えている。多分「竈門石」へとつながる昔のルートではなかろうか。

   8合目先に「益影の井」の表記。右手に分かれ た先にある。
         
 馬蹄石。玉依姫とかいう方が龍馬に乗って飛び 立った石だとか。石の上に蹄跡があると書かれていたが見ても分からない。

   キャンプセンターから女道を下る途中に「法城 窟」の案内がある。入り込んでみると崩落した部分にブルーシートがかけてあるのでそこかもしれなが、特定はできなかった。

   すぐ下に今度は「福城窟」の標柱あり。このあ たりはいたるところに石垣が積まれている。江戸時代の修験道の坊の跡らしい。

         
 枡形城址について書かれている鳥追峠の案内 板。地図も記載されており、愛嶽山頂のすぐ裏にありそうだ。実際行ってみると曲輪らしき平坦部が広がっているが、そこには表記はない。
福岡県の報告書を見ると愛嶽山頂一帯に広がっており、東と南の尾根先端部分には曲輪や土塁などの跡が残っているらしい。

       

 宝満山は山岳信仰の山として、とりわけ古代大宰府と密接な関係を持つ山として高く 評価されており、平成25年10月に国の史跡に指定されたとのこと。
山岳信仰の山で国の史跡に指定されているのは東北の鳥海山と富士山、そして宝満山の 3山だけである。(太宰府市の資料より)
ずいぶん貴重な史跡だということらしい。しかしながら、石垣等の多くは江戸時代以降 の修験道の遺跡であろうといわれており、
今回の1日だけでは、我々素人には古代大宰府との関わりを実際に目に見える形で実感 するまでには至らなかった。
もう少し調べて再度訪れてみたいものだ。




最後に・・・・・・・
 正面登山道にはうんざりするほどの標識が立っている。 が、行者道や愛嶽山の登山路には標識がほとんどない。あっても小さかったり、字が読めないものもある。
これだけ多くの登山者が訪れる山である。他のコースにも最低限の道標を 整備してもらいたいものだ。
         
 下りの行者道で見かけた道標。右に行っても左 に行っても同じ所へ行くということらしいが・・・?    愛嶽山頂付近にあった道標。「←竈門神社」と 記載されているが、赤で×がつけてある???
このまま進むべきかどうか分からないな。
   このコースには標識やリボンがほとんどなく、 立ち木に赤い点が打ってある。横の青いものは「かまど」と書いてあるらしい。