鹿 児島県屋久島宮之浦岳(1936m)
九州百名山地図帳 (山と渓谷社)No100


2016年7月24~26日 ・・・  世界自然遺産の巨杉を訪ねて
  九州本土に住んでいても屋久島は遠い山である。
 最初に屋久島に登ったのは昭和48年である。その後、家族4人でこの山には2回トライしたが、1回目は台風発生で鹿児島港で、
2回目は豪雨で淀川登山口で断念しており、私にとっては遠い山となっていた。
しかしながら、屋久島のスケールの大きさはどうしてももう一度味わってみたいとここ20年ばかり思い焦がれていた。

 長かった梅雨も上がり、3日程度は晴天が期待できそうなので、「今しかない!!」と夫婦の話がまとまり、挑戦することにした。
朝から高速道を鹿児島へ向かい、 鹿児島港から高速船で屋久島に渡り、今回の山旅はスタートした。

  
 日本最南端の高所湿原「花之江河」       「宮 之浦岳」山頂から永田岳を望む            胴高16.4mの「縄文杉」


 
                                                                           安房沖から屋久島を望む

【1日目】安房港13:35―(バス)―紀元杉バス停14:40ー淀川登山口15:00―淀川小屋15:50(テント泊)
【2日目】淀川小屋5:15―花之江河7:30―投石平9:00―(途中昼寝1時間)-宮之浦岳山頂12:00 12:50―坊主岩14:30―新高塚小 屋15:30(テント泊)
【3日目】新高塚小屋5:30―高塚小屋6:30―縄文杉7:00―ウイルソン株8:30―大株歩道入口9:15―楠川分れ10:30―白谷雲水峡13: 00―(バス)―宮之浦港


 
1日目


安房港 で高速船を降り、付近のスーパーで夕食弁当を購入。バスには5,6人の乗客のみ。
途中、道端の猿の親子を運転手が見つけ、バスを止めてくれた。

バス終点から 林道をしばらく歩くと淀川登山口。登山届を提出し、トイレ等の環境保全募金(1人500円を中央の丸い筒状へ)を支払い出発。
登山道の途中 からいよいよ世界自然遺産のエリアへ入る。







2日目
登山口から一 つピークを越えると淀川の渓谷に出る。この川の水は目を疑うほどに透明である。光が反射しないと写真に水面が映らないほどだ。この川のほとりに小屋は立っ ている。
明日はこの鉄 橋を越えて登ることになる。
小屋の前にテントを張り、食事を終えたころから雨がポツポツと落ちだす。「直止むだろう」とたかをくくっていたが本降りになり、テントの中でもしっとりと 濡れる。おまけに雨音で眠れない。「苦しいー!!」

雨がなかなか 止まず迷ったが天気予報を信じ、雨具を着てヘッドライトをつけて出発する。







明るくなるにつれて雨もやんでくる。空も明 るそうだ。滴をかぶりながら林の中を登っていく。
1時間ほどで「小花之江河」に着く。木々が 雨にぬれており、みずみずしい風景が堪能できた。
この辺りの標高では杉も樹高が低くなり、白骨化したものも見られ一幅の絵画である。

小花之江河の真上に位置する高盤岳山頂の巨 岩。縦にきれいに割れており、「豆腐岩」と呼ばれているらしい。







こちらが 「花之江河」である。「小花江河」に比べると格段に広い。が、広すぎて「庭」というよりも「公園」といった感じかな?
花之江河の北側にそびえる黒味岳。九州百名 山にも挙げられている。
投石岳麓に広がる投石平。この辺りは花崗岩 の大きな塊があちこちに見られる。







屋久シカの 雄。人に対して警戒感が全くなく、道端で悠々と草を食んでいる。今回シカに4回遭遇した。下草等が食べつくされるようなシカ害も見られず適度な繁殖数とい うことか・・・
稜線では樹木も低木となり見晴らしがきいて くる。前方に目指す宮之浦岳が見える。気持ちのいい景色である。空は晴天となり日差しが熱い。
翁岳山頂の花崗岩塊。右岩の上に2つの岩が 乗っている。人が運ぶには大きすぎるし??
左の岩はタマネギ状にヒビが入っており、これが細分化して崩落し、結果として2個だけが残ったものと考えた。正解?







途中1時間ほど昼寝をして、やっと宮之浦岳 山頂に到着。(昨夜の雨で睡眠不足となり、妻がダウン。妻の昼寝の間、私は濡れたテント、シュラフ、雨具をせっせと天日干し。)
山頂を出発するころからガスが昇り始め、永 田岳の岩峰も霧で見えなくなる。このくらいの高度ではヤクシマシャクナゲの大群落が広がる。花の時期を想像しながら、今日の宿泊地までひたすら坂を下り続 ける。
山頂から2時間ほどで巨大な花崗岩の一枚岩 「坊主岩」が見えてくる。岩の裏には宮之浦へと下る谷が深く切れ込んでいる。この辺りからまた、深い森の中へと入っていく。







大きな屋久スギが見え始めるとここが屋久島 だということを改めて実感できる。
屋久杉は、1本1本違った表情をしており見 ていても飽きない。しかし1本の樹を見上げるだけでも首には大きな負担である。思わず口が開いている。
やっとたどり着いた新高塚小屋。ここには足 踏み式の半水洗トイレ(バイオ処理?)があった。淀川小屋のポチャン方式と違い、息を止めなくてもどうにか使える。






3日目

小屋のテラ ス(実際は登山道か)にツェルトを張る。一見快適そうだが、この木道の凸凹が背中やお尻にあたり同じ姿勢で長時間は寝られない。とはいうものの、睡眠不足 と疲れからこの日は熟睡・・・・
最終日は、高速船の時間の関係でかなり余裕 がある。食事をすませ5時半に出発。大株歩道を下り始める。

樹林の中は日の出の時間を過ぎても薄暗い。 空の青さから好天が期待できそうだ。そのうちに高い杉の枝に朝日が差し込み始める。屋久島の朝日は樹木で眺めるものらしい。







1時間ほど で高塚小屋に到着。最近3階建ての新しい建物に変わったらしい。利用した人の話では「新高塚はネズミが、高塚はクモが闊歩している」とか。
小屋からほどなくして「縄文杉」が出てく る。この杉だけは根元まで光がさしており樹肌が輝いて見える。50年ほど前に見た時より枝葉が減り肌の色合いも白っぽくなったような気がしたが、数千年の 命に人間がコメントするのも恐れ多いことかもしれない。
次々と現れてくる巨杉のオンパレードに圧倒 される。さらに巨樹の陰で見落とされがちなのが大きな切り株である。数百年たってもまだ存在感があり、他の樹木のよりどころともなっている。巨杉の顔見世 興行といったところか。







根っこのトンネルをくぐった。人為的に削っ たのではないかと疑って観察してみたがその痕跡はない。おとぎの国から顔を出したような風景だ。
ウイルソン株は突如道端に現れた。根回り 32mと聞いている。内部に入ると畳10畳の広さがあり、外観よりも大きさを実感できる。昨今では穴の中から上空を見た時のハート形を探すのが人気とか。 どうでもよいことだが・・・
この辺りの登山道は木道が整備されており歩 きやすいが、幅が狭いため対向者と離合するたびに待たされることになる。







大株歩道入 口に着いた。縄文杉を目指す人たちと数十組すれ違った。この入口にも100人程度の人が休憩している。縄文杉を目指す大半の人がこの辺りを9時前後に通過 しているようだ。今年の入山者は少ないとはいうものの、ここを往復するのは大変だろう。
こ れから先はトロッコ軌道に敷かれた木道を快適に下る。が、対岸に目をやると戦後の皆伐の傷跡が否応なしに目に入ってくる。1000年を超すいわゆる屋久ス ギでなくても100年を超す杉すらほとんど見ることができない。トロッコの搬出ルート沿いはどこもそうなのだろう。回復には恐ろしい時間がかかる。
とはいうものの歩きやすいトロッコ道を1時 間余りで「楠川分れ」に到着。ここから辻峠への最後の登りである。








辻峠を越えるあたりからにわかに人が増え る。雲水峡方面からの散策客である。外国人も多い。国内でも関西、関東の言葉が目につく。山の中にあっても国際的な景勝地であることを感じさせる。
吊り橋の上から眺める渓谷は水量も多く、水 も澄んでいる。バス停まであと10分だ。3日間の山旅の最後に屋久島らしい一面を再度見せてくれた。


 帰宅して1週間程経過してこのレポートを書いている が、今でも屋久島のさまざまな光景が目に浮かぶ。外国旅行から帰った時と同じ気分だ。
それほどに屋久島は素晴らしい。帰ってきたばかりなのに 「もう一度行きたい」と思わせる何かがある。山の魅力というよりも圧倒的な自然の魔力によるのかもしれない。

60代後半に入り体力と相談しながらしか山登りもできな くなりつつある。今回も軽量化に苦心した。妻が7kg、私が15kgを背負って歩いたが正直重い。
食事付きの山小屋を利用しない、しかも途中で人家へと下 らない縦走はこれが最後かな? と考えながら歩き続けた。
弱音も吐きながら、しかし、何物にも代えられぬ感動を心 の奥深くに感じた山旅であった。