「西郷隆盛宿陣跡資料館」の全景。手前の駐車場は広い がトイレはないので、すぐ北の道の駅を利用する。資料館は下山後に見学。 | 駐車場から道標に従って南登山口へ向かう。途中には桐 野利明の宿舎となった民家もある。登山口に立つ看板。 | 途中はヒノキ等の植林帯とツバキなどの照葉樹林とが混 在する。西郷隆盛はこの道を輿に乗って登ったらしい。 |
1時間ほどで「ザレの頭」に着く。ここからは可愛岳本 体の稜線に取り付くため傾斜が急にきつくなる。奥には山頂が見える。 | 途中に水場がある。このすぐ上には炭焼き窯の跡もあ る。 | 急な崖にはロープが設置されており不安はないが、堆積 した落ち葉は滑りやすい。この上あたりから花崗岩へと岩質が変わってくる。 |
稜線に出て北コースと合流した後、左側にルートを取る と「のぞき」に出る。修験者が逆さ吊りになる修験の場だとか。ロープの先は70mの絶壁。 | 山頂の直前の稜線上に「鉾岩」の表記がある。岩の形か らこの岩だと考えたが、地図では北側の斜面途中に記載されており、確証はない。 | 山頂は四方に見晴らしがきいて気持ちがいい。南西方向 に行縢山、北西方向に大崩山群が広がり壮大である。 |
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山頂から北コースをたどり稜線上の烏帽子岳に着く。 | 南側には、登山口のある俵野の集落あたりが足元に望め る。 | コース沿いにはストーンサークルやメンヒル等の巨石群 がある。この手の史跡は本当に信仰の対象となったのだろうか私には疑問に思える。 |
下山途中で見たヒノキの植林地。緑の低木が地面を覆い 植林地なのに美しいと感じた場所だ。 | この季節にしては珍しい花。葉っぱが痛んでいるのが残 念。どうやら「コショウノキ」という低木ではないかと思われる。 | この山の上部は花崗岩に覆われているが、下部は砂岩状
のものや赤土に覆われており、登山道は雨に洗われ深い溝になった部分も多い。 ニョロの季節や雨の季節には通りたくない。 |
資料館駐車場にできていた大型トイレ。 |
桐野利秋宿営地の看板。南登山口はこの家のすぐ左側にある。 |
南コースの途中から可愛岳の山頂を望む。山頂部分が横に長く「柄」の形
をしていることから「えのたけ」となったとの説もあるらしい。 |
1時間ほど造林帯などの稜線を歩き、林道を過ぎると傾斜は急になり、ほ
どなくして水場に着く。 |
水場からさらに傾斜が厳しくなるが、10分ほどで南コースの稜線上の分
岐点に到着する。 |
分岐点から鉾石を通り山頂に到着。南北の眺めは素晴らしい。前回は「覗
き」を通ってきたが、今回は道を見落としたのか通らなかった。 |
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山
頂から見た大崩山方面。西郷らはこの山頂から一気に祝子川へと下り、上祝子の集落を経由し、鹿川越を超えて高千穂へと向かったらしい。生死がかかっている
とはいえ、眺めただけで気の遠くなるような距離で、しかも悪路であっただろうことが想像できる。 |
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北コースは稜線上を下る気持ちの良いコースである。 | 途中からは杉林が多くなる。このあたりでは杉の下にサカキなどが生えて
おり美しい。 |
1時間ほどで林道に出る。ここまでは快適な下りだった。 |
林道出合から先は嫌な道である。道はあちこちで深くえぐれており、あた
かも「排水路」の底を歩いている気分になる。何とも気分の悪い道だ。 |
資料館のすぐ手前には「熊本龍口隊隊長の中津大四郎自刃の地」との石碑
と標柱がある。「龍口隊」は熊本市子飼の「久本寺」に結集し、薩摩軍を支援してきた部隊らしい。 |
宮内庁の名前で「北川陵墓参考地」と記された看板がある。「ニニギノミ
コト」の陵墓との言い伝えもあり、西郷は「この陵墓の前に陣を敷けば官軍は攻撃できぬ」と考えたらしい(パンフレットより)。 |